招き猫

可愛い招き猫は千客万来、金運招福の縁起物。

 左手を上げているのは雌で“千客万来”。右手を上げているのは雄で“金運招福”だそうな。 中には両手を上げている猫も見受けます。両手を上げている猫は“千各万来”と“金運招福”の両方を祈願する欲張りな人に人気だそうな。 

 招き猫の発祥は 遊郭の吉原だそうな。 吉原の“女郎”のお姉さんたちは吉原に繰り出す男衆に、格子の中から流し眼なんかを使いながら、左手に持った煙管を上にあげ、「おいで、おいで」をして男心をくすぐりました。 その仕草を、寂しさを紛らすために飼っている猫をモデルに作り上げ、“千客万来”の縁起物にして願掛けしたのが招き猫だそうです。

 その縁起物が料亭やお茶屋等の飲食業界に広まって、次第に江戸中に広まって行ったようです。 きっと、吉原に遊びにきた料亭の“若旦那”かなんかが 「こりゃーいいじゃん。」とかなんとか言って自分の店に飾ったんじゃーないでしょうか。?

 招き猫が吉原生まれで“色っぽい”なんて知りませんでした。

 でも、両手を上げている猫の性別はどちらなのか解りませんでした。   どなたか知っている方は教えてくれると嬉しいのですが。

    

死後の世界

 マサチューセッツ工科大学に面白い研究をしている研究者がいるようです。

 死んだ後の世界が有るのか、無いのか、有るとすればどのような世界なのかを研究しているそうです。 人が死んでしまえば話す事が出来ませんから、死んだ人から死後の世界を聞き取ることは出来ません。

 そこで、この研究者は全米で“死にぞこなった人”、つまり、臨死体験をした人2000人から臨死状態の空間を思い出してもらい、聞き取り調査を行っています。 医者から死の宣告を受け葬儀の最中に生き返った人とか、 葬儀屋さんが棺桶に遺体を入れ釘を打ち、しばらくして棺桶を運びだそうとすると中から“ガリガリ”と音がするので、びっくりして、ふたを開けたら死んだはずなのに生き返った人とか、・・・等々。

 調査結果は、体系的に整理され報告されています。 その報告の中に、とても興味深い部分がありました。 実は、臨死体験をした人のうち80%近い人々が仏教で言う“三途の川”のふちまで行っていたのです。 “三途の川?” の様子は、鏡面のように澄んでいた。とか、霧がかかって霞んでいた。とか、様々ですが “この世とあの世” を分ける“川”の存在は否定できないようです。

 死後の世界が有るのか、無いのか、は解りませんが、私個人とすれば有った方が面白いと思います。 マサチューセッツ工科大学の研究者の皆さん、これからも“死後の世界の研究”を続けて、素晴らしい研究成果のご報告をお願いします。 不肖、この私も、不思議な体験をした一人としてご協力致します。

 私の不思議体験記は、折を見てご報告致します。    怖いですよぉー

 

警視庁抜刀隊

 征韓論に敗れた西郷隆盛さん。「鹿児島に帰り静かに余生を」 と、思ったのですが、田舎で唆されて、やけくそで挙兵した西南の役。皆さんご存知ですよね。

 西郷軍は最初は勢いがあり、政府軍を相手に連戦連勝。 慌てた大久保利通はどうすれば良いか閣議を開いて「何か良い手立てはないでしょうか?」と泣きつきました。

 「では、維新の戦争で、薩長連合軍に敗れた会津藩の浪人達を外人部隊として雇いれて、それを西郷軍と戦わせれば良いのでは。」 との発言に、「よし、それで行こう。」となり、募集活動を行ったところ、 応募者多数。 瞬く間に定員に達したそうです。

 この外人部隊を「警視庁抜刀隊」と命名し、早速、九州熊本へ送り込みました。 この作戦は見事に効を奏し、「会津の仇を九州で晴らそう」 と決死の覚悟で戦う旧会津藩兵は、田原坂で西郷軍を破り、この戦を境に西郷軍は退却を重ね、薩摩で敗れ去りました。 

 この「警視庁抜刀隊」が今の「警視庁機動隊」ですよ。  知ってました。?

七五三

 ♪とーりゃんせ、とーりゃんせ、ここはどーこの細道じゃー。てんじんさーまのほそみちじゃー♪

 ご存じ、童謡の一節。 神社にお札を納めて可愛い子供達が健やかに育つよう、神様にお願いする行事が七五三。 三歳と七歳が女の子。男の子は五歳だけ。 ちょっと不公平ではないのでしょうか? こんなこと、誰が決めたのでしょうか。

 実は、“越後屋”です。“越後屋”とは三越なのです。 共犯者がいます。共犯者は“千歳飴本舗”です。 この両者が結託して七五三を生み出したのです。

 昔から、関東地方では子供の成長と安全を願う行事として“十三参り”という習慣があり、生まれた年から13歳になるまで毎年、氏神様にお参りをしてお札を納めていました。 裕福な家庭では毎年かなり派手なお祝いをするのですが、一般家庭では毎年毎年のお祝いは、結構、家計を圧迫したのです。 爺さん、婆さんも“孫”は可愛いのですが、先立つものがないのではプレゼントも出来ません。

 此処に目を付けたのがご存じ“越後屋”。 「毎年毎年のお祝いは大変でしょう。この際、お札納めは、三、五、七、の歳として、女の子は可愛いから三歳と七歳。男の子は我慢して五歳だけにして宣伝するのは如何でしょう。」と千歳飴本舗に提案。

 「でしたら、わが社の千歳飴を袋に入れて、子供達に持たせるスタイルにしたら嬉しいですなぁー。」てな会話がされたかどうかは解りませんが、とにかく、“悪だくみ”は合意され、ポスターが作成され、宣伝が開始されました。

 この“悪だくみ”は見事に成功し、七五三は定着し、“越後屋”の呉服が売れ、千歳飴を手にした子供達が神社にお参りをしたのです。 その結果、“十三参り”は廃れてしまい、神社の神主さんたちの収入は激減したとか、しないとか?

 越後屋には時代を先取りする経営者がいたのですなぁー。 今はどうかしら?

 

江戸っ子

 「江戸っッ子だってねぇー。寿司食いねえ。」 ご存じ「森の石松」の名セリフ。

でも、このセリフは「江戸っ子」の本当の意味を知らない、“浅学非才”な人の言葉です。 実は、「森の石松」本人が「江戸っ子」のような人なのですから。

 徳川家康が江戸に入府する前の江戸村の人口はわずか86人だったそうです。 家康が江戸城を大改築し、参勤交代制度を定着させ、江戸を世界最大の人口を有する大都会に発展させた事は、中学生の日本史で教わりましたが、 その、歴史の裏の部分は教えてくれませんでした。

 江戸が大都会に発展する過程で、地方から、駆け落ち者や破産者、ならず者、村八分者、犯罪者等の地方で暮らす事が出来なくなった人々が大量に江戸に流れ込んで来たのです。

 これらの人々は、通行手形も持たず、人別送りもされず、身元保証もない、今で言えばホームレス。 橋の下や廃屋やお寺の縁の下で夜露を凌いで生きていました。

 このような人々は、江戸に吹溜まった根なし草として「江戸根尾」と呼ばれ、あちこちで迫害を受けたようです。 この対抗策として「江戸根尾」達は、徒党を組んで、恐喝、押し込み、火付け、強姦を働きました。 この徒党が「江戸者」と呼ばれ、江戸市民を震え上がらせたようです。 

 「江戸者」が江戸の裏社会に定着し、代を重ねて「江戸っ子」と呼ばれるようになりました。

 神田で生まれ、神田川の水で産湯をつかい、3代重ねれば“江戸っ子”なんて誰が言ったのかなぁー。  気風が良くて、“宵越しの金はもたねぇー ”なんて真っ赤な嘘。 いつ役人に捕って首をはねられるか解らないから、早く使っちゃうのが本音。

 「江戸っ子」の意味は、「ならず者」でぇーす。 森の石松もヤクザ者だから「偽江戸っ子」

 これからは、もう決して「俺は江戸っ子だぁー」なんて威張る事はやめてください。お願いします。

 

本町田造成工事終了

先月から取りかかっていた本町田の造成工事が終わりました。

何も問題なく、工程通りに工事が進み後は完了検査を受けるだけになりました。

土地は高台になるので景観は良好です。

2宅地なんですが、各2台ずつの駐車スペースがあるのでお車がお好きな方や家族で複数乗られている方にはおすすめです。

来週から木曽東の6宅地造成工事が始まるので、また工事状況をアップしたいと思います。

朝日工営 大滝